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学校の偏差値はどうして生まれたのか、偏差値によって生まれた利益と弊害

偏差値、教育を受けた方は絶対目にする数値。

この値のおかげで大学に受かるか受からないかの指標になったり、頭の良しあしが数値的に見やすくなった半面、一昔前に「偏差値教育」なんて言葉が流行ったり、自分の偏差値を手掛かりに行く大学を決めて、「なんで大学に行くのだろう」と考えてたら卒業してしまったという人も見かけます。

僕は偏差値は自分の進路をよくするために使う手掛かりにはなりますが、ゴールにしてはいけないと考えております。と考えているうちになんで偏差値が生まれたのかとか疑問がわいてきました。

今回は調査と考察をしてきました。

 

 

お品書き

 

 

偏差値の生まれたきっかけ:テストの得点を客観的に評価する指標がなかった

教育の偏差値を生み出したのは桑田昭三さん。もともと学校の先生です

当時の学校の生徒の進路指導ではテストの得点と順位、これまでの先生の勘を用いて行われていました。先生が「このぐらいの成績なら志望校はそのままで」、「点数よくないから志望校を下げよう」とこれまでの経験をもとに決めている感じです。

桑田さんが指導していた生徒の順位が1番上の生徒に1点足らないせいで「志望校を1ランク下げろ」と言われます。それに対して「論理的に説明しろ」と言い返すも「だったら論理的に抗議してくれ」と反論され、言い返せませんでした。そして指導していた生徒は志望校をそのままにし、受験に失敗。この経験からテストの得点を論理的に説明できる見方、のちの偏差値が生まれます。

つまり偏差値はテストの1点差の意味や価値を解明するために生まれたのです。

 

 

客観的に評価するには:受験生の学力分布は、正規分布であると見なせる。

桑田さんは試行を重ね、ある仮説を立てます。

「入試の受験生の学力分布は正規分布であると見なせる。」

 

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正規分布:縦軸は全体でどれくらいの人がいるか割合を示している。



確率論や統計学に出会った桑田さんは「社会にみられる様々な現象を統計に取ると限りなく正規分布に近くなる」という法則になぞらえてこの仮説を立てます。

正規分布で言う偏差値は「自分は上位何パーセントのところにいるか」を示します。こうすることで、全体と比較して自分の得点はいいものなのか悪いものか明らかになるので客観的に評価ができます。

例えば平均点が80点のテストで100点を取ったのと、平均点が10点で70点を取るのでは後者の方がなんとなく頭がいいのは理解できるでしょうか(標準偏差を考慮しなければいけませんが)。

「入試の受験生の学力分布は正規分布であると見なせる。」の検証をするためにデータを集め、仮説の検証を行い、志望校判定の基準の確かさなどを説明できると考えました。

 

 

偏差値によって生まれた利益:指導がしやすくなった

 んでどうやら正規分布に従うものが多いので、偏差値は客観的な指標として用いることができました。また、定量化できなかった頭の良さを定量化できることから、瞬く間に偏差値は広がります。

またテストを受けた人の中での苦手な科目が分かり、勉強の指標作りができ成績が向上するなど、偏差値によって多くの利益がもたらせれました。その業績が認められ、桑田さんはある研究会に転職します。

いいことばかりで偏差値万歳、と思いきや桑田さんは学校をやめて移った転職先を「我、敗れたり」と言い、やめてしまいます。いったい何があったのでしょうか、

 

 

偏差値によって生まれた弊害:偏差値を取るのが目的になった

 桑田さんは偏差値を「テストの1点差の意味や価値を解明する」ために作りました。結局のところ1点変わろうが自分の進路には影響がない、進みたい道を進めと生徒を勇気づかせたかったのだと推測します。

ところが今はどうなっているでしょうか。予備校が掲げる学校の偏差値表(模試と当日の試験は違うので偏差値表を作ること自体あり得ない)、Google先生に大学名を聞くとその後ろにサジェストされる「偏差値」の3文字。

「君の偏差値はこれぐらいだからこの学校の方がいいんじゃないか?」模試の偏差値によって決まる進学先。

進みたい道を進めと不安を解消させる偏差値が、いつのまにか学校の格付けの指標になり、偏差値は意図しない使われ方をし始めました。そして学生の大学に進学する目的がいつの間にか模試でいい偏差値をとることにすり替わりました。

先生方も忙しいので偏差値から大学を決めてあげるのが手っ取り早いので楽です。ですが偏差値をしっかり評価してあげるべきではないでしょうか。

例えば特にやる気もないけどなんとなく高い偏差値を取った人に「この大学はいいぞ」って進めるより、「君は何がしたい?一緒に夢を探さない?」と指導したほうがいいし、一生懸命勉強して低い偏差値を取った子には「うっし、このまま続けて!」と言ったほうがその子のためになると思います。

桑田さんはこんなことを言っています。

「私でも本番のテストで取る成績の範囲と確率は予言できますが、試験当日、実際に取れる成績は、どう知恵を絞っても予測することが出来ませんでした。

 

 

日本にだけ偏差値がある理由:「いい大学を出れば将来安泰」

 実は学校の偏差値があるのは日本だけです。海外にはありません。途中で偏差値教育はやりすぎだと文科省から注意が入りましたがそれでも偏差値はまだまだ根付いています。なぜなのでしょうか。

僕が推測するに昔から「いい大学を出れば将来安泰」と言われているからだと思います。終身雇用の日本だったころ「いい大学に入ればいい企業に入り、将来幸せに暮らせる」。

親は子供の将来を不安に思うそうです、子供の将来が明るくなるぐらいうれしいことはありません。なので一刻でも自分の子供の将来が分かる指標は何かと偏差値を頼り、それに感化された子供も先生もよい偏差値を追い求めるようになったと推測します。

終身雇用が崩れたこの時代、いい大学を出たから将来安泰とは言えなくなりました。だからこそ偏差値を追い求めるのはやめてもいいのではないでしょうか。

 

 以上になります、結局一点の差は解明できなかったそうです。予備校の偏差値表のせいでどれだけの人が学歴コンプレックスに苦しんでいるのやら。少々長くなりましたがお付き合いありがとうございました。

 

 参考記事

Hensachi no umi no oya: Kuwata Shozo no Intaaabyuu by Noriko Saitoh and Tim Newfields (Original Japanese Version)

日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【教育問題について】