この間、ご縁があって演奏をしてきたので独り言を書きます。
お品書き
初めての文化祭
「じゃあ3人ギターのバンドが組めるね!!テンション上がる!!」
初めての大学の文化祭。同期バンドを組んだ。
同期全員いい感じにパートが分かれていたのでみんなで出れるのがうれしかった、なにせ7人バンド。
世は少子化、未知の体験ができるとわくわくしていた。
キーボードの子が初心者だったから一生懸命耳コピして楽譜を渡したのも今でも覚えている。初めての文化祭ライブ、楽しみでしょうがなかった。
現実はそううまくいかないらしい。
真実は残酷だ
一週間ぐらい前になって文化祭の話になった時、先輩から
「みんな観客は棒立ちだし、去年からみんな疲れるから机のある教室でライブするようになったんだよね。人も来ないよ・・・。」
追い打ちをかけるように、同期から
「正直ギター3人でやるほどやる気がない。けど出番は欲しいから3人で入れ替わりでやらせて。」
と、言われた。ギター3本で音を出すためにはどうしたらよいか一生懸命話し合って、これならいけそうってところまで決まったのにショックだった。
とはいえ本人たちも最高のライブがしたいし、当時の僕は無理なやり方をさせていたのかもしれない。
実際、ライブは呼んだ人以外いない、部員もPA以外に1人しかいなかった。
スッカスカの会場で、ドラムセットどうしようとか直前まで考えていた自分と周囲との乖離を感じてとにかく居心地が悪く、呼んだ方々には本当に申し訳なかった。
今だから言えるけど、この文化祭の一件も編入試験を志した理由でもあります。
2年後、入部の決意
大学3年生、途中からサークルに入ってなじめるだろうかと不安になりながら行った新歓ライブ。
僕の考えていたライブがそこにあった。
みんな一生懸命演奏して、人の演奏を一生懸命聞いて、盛り上がって・・・。
これだ!と体が震えあがったのをいまだに覚えている。その日のうちに入部を決意した。
5年後、OBとしてのライブ
そこから5年経ち、OBとして参加したこの間の追いコン。正直これから楽器弾く機会はないと思っていたので誘ってくださった方にお礼を言いたい。
練習の時、キーボードを背負って初めて電車に乗った。車両のドアにキーボードがぶつかるし、吊革にキーボードが当たるしとにかく新鮮だった。とにかく傷つけないように気を配ったし、気がつけば楽器を預けた時になぜか不安になるぐらいに愛着が湧いていた。
そしてライブの日が来た。世の情勢もあって無観客でのライブ。
部員の方々もどうすればいいと悩んだと思う、それでも開催してくださったことに感謝を言いたい。
一番びっくりしたのが無観客とはいえ配信で見れるのである。(しかも音もきれいに取れていた)
入部を決意したときと同じ体の震え方をしていた。
みんな一生懸命になって何かを作ろうとしていている。昔見たかったライブが画面越しでも見れて、みんな思い思いの言葉をコメントしている。
すげぇとただ茫然としていた。
数日後、僕の出番。
今の代が卒業したら組むバンドなくなるしこれが最後の出演。
せっかくだから僕の好きなキーボーディストの真似をしようとキーボードを前に傾けた。
初めて出た文化祭でも前に傾けていたな・・・。
演奏が始まった。
僕の前にはギターリスト2人とギターボーカルがいる。
大学一年生の時にできなかったトリプルギター。
今まで聞いたことのない空間にいたような感覚を覚えている。3本でもそれぞれの音聞こえるんだと耳からうろこが出た。
恥ずかしくて言えなかったけど死ぬほどうれしかった。
無事演奏は終わり(若干出しゃばってごめんなさい)、ライブも終わった。
帰り道、もう演奏はないのかぁとか思いながら電車に揺られていた。
最近鬼滅の刃をアマプラで一気見した。今なら妹を背負いながら旅をする主人公の気持ちが分かる。背負っているだけで心強いし、安心するし、このキーボードにお礼を伝えたい。
家について、ケースからキーボードを出した。
高校生の時に落としてついた傷、それを隠すように貼った絆創膏、大学生の時に貼ったシール、落としてついた傷。
なんとなく電源を入れてみる。
自分で作った音源の名前をみて「あーこんな曲やったなぁ・・・」とか「そうそう、えぐい音が好きでキーボード買ったんだよなぁ・・・」とか「うっわひずみすぎだろ、音作り下手か?」とか感傷に浸りながら音を鳴らしていた。
いろいろな思い出がこのキーボードに詰まっている。
バンドって?
MCで部員の皆様がバンドにかけた思いを話していて、僕も書きたくなった。
バンドってなんなのだろうか。みんなの答えは違う。けどバンドをやっている人は「やっててよかった」と言う。
僕は「人生の肯定」って答える。
もっと過去のお話。
家が体育会系だったので小学校の時からサッカーをやらされたけど、運動が下手なのでひたすらベンチスタートだった。活躍もできない、足も引っ張っている感覚が嫌だった。
中学は吹奏楽部に逃げた。
小学校の時に同じサッカーをしていた人からは馬鹿にされたし、両親には「今運動しないでいつ運動するんだ」と死ぬほど怒られた。
今思うとこの選択が自分の人生の分岐点だったかもしれない。
僕のいた吹奏楽部は全然強豪じゃなかった。「ひとまずみんなで演奏しましょう。」がセオリーだった。だから練習していれば足を引っ張らないし、とにかく役割を果たせるのがうれしかった。
高校の吹奏楽部は強豪だったので軽音部に逃げた。
けれどドラムを力の限り叩けるのがとにかく楽しかった(疲れてテンポ遅れるんですけど)。
その影響もあって音の研究をしたくなり、いろいろな縁があって編入した大学で音の研究ができた。
僕の人生は逃げて逃げて逃げまくってきたけど、唯一逃げなかったのがバンドだった。そのバンドのおかげで僕がある。
そう考えると僕にとってバンドは人生の肯定だと思う。人生に挫折しまくっても生きていけるし、役割を果たせるんだって思えると少しだけ勇気が出る。
・・・さて、次は何の曲やろうかな・・・。