このブログを知っている同期から編入関係ないじゃんって言われましたけど、僕の気持ちを垂れ流させてください。
の前にこの研究室に配属された経緯の話を。何度も書いているけど最初に配属された研究室を変える機会があって、移るときに紹介されて入ったのが今の研究室です。余談ですが先ほどその研究室の送迎会に出席させていただきました。本当良くしてもらいました・・・。
「僕音の研究をしたいんですよね」
「そうしたらいい研究室紹介してあげる」
と、当時の指導教員は今の研究室を紹介してくれました。紹介してくれた研究室は当時一年目の間もない研究室で、指導教員もすごい見た目しているし、大丈夫なのかと不安しかなかったですが、大学院試も迫っているのでとりあえず連絡をしました。
会ってみると思ったより気さくな人で、研究もやりたいことそのまんま。このまま研究室を移って大学院もそのまま進学するか、大学院でもう一回研究室を変えようかめっちゃ悩みました。
ここまで来たらリスクを取ってやろうじゃないか、派手にやってやろうと思ってその研究室を受け、大学院で研究室を移りました。
この判断は間違っていなかったと思います。
目次
若い指導教員のもとに配属されてよかったこと
今の指導教員は16進数で21歳の方で超若いです。
その指導教員に指導を受けてよかったことを書きます。
−とりあえず任せてくれる
「この学会応募してみようよ!」
「この発表やってみようよ!」
とりあえず発表しよう、量を積み重ねれば質が付いてくるというスタンスでした。最初は「嫌だ休ませろ、研究したくない」と言っていたのですが、今振り返ると「~の研究していました」って堂々と言えるしやってよかったです。
−いっぱい発表をさせてくれる
若いから研究者としての実績も作らないといけないです。そのため親身になって研究を進めてくれました。研究は大変でしたけど、やってよかったと思います。
トータルでいうといっぱい研究させてくれました。
実績はあまり出せませんでしたが、これだけ取り組んだという誇りが残りました。
感じた怒り
いいことばかりではなく怒ったこともあります。
rikei-hennnyu-1st.hatenablog.com
このときは荒れてました、研究室なんか行かねぇ、なんで係をやらなきゃいけねぇんだって思ってました。あと学会で交通費が出なかったことにもイライラしてました。
後から気づいたのですが指導教員もそこはおかしいと思っていたらしく、直せるところは直そうと改良していることを知って考えを改めようと思いました。
研究室で学んだこと
以下編入に関係しそうなことです。
-人と比べない
マジでメンタル病みます。病まないためにも周りのことが気にならないくらい目の前のことに夢中になりましょう。
-考える前にとりあえずやる
こうなるはずだからやりたくないです、じゃなくてやりましょう。ダメだったら途中で逃げればいいです、まだ学生です、責任を放棄しても許してくれる。
-自分は無力だと思って何もしないのはなし
「自分これまで失敗してきたからもう挑戦したくないです」
僕が陥った考え方です、論文2回リジェクトもらって「もう自分研究向いていないんでしたくないです。」って進捗報告の時に嘆いたこともありました。指導教員はその言葉を無視してある日「こんなプロジェクトあるけど応募してみない?」と聞いてきてくれました。結果そのプロジェクトに採択されたので挑戦し続けることって大事ですね。
落ち込んだ時は「これは自分への評価ではなく、成果物への評価であること」を思い出してください。
お礼
という波乱万丈で濃い2年間が過ごせたのは指導教員含め同期、後輩、先輩のおかげがあったと思います。特に僕が研究室に腹が立っているときに研究室になじめるように接してくれたり、メンタル死んでいるときに一緒に遊んだり会話をしたりして支えになってくれた居室の住民、特にSN市さんには今までにないとっておきのお礼をしたいです。僕みたいな人と難なく接することができたことは、今後役に立つと思います。
2年間という短いお時間でしたがありがとうございました!
皆さんお元気で!