鰤切手

旧初めての理系編入。編入から無職まであなたのお供をします。

【スポンサーリンク】

筑波大学合格までの編入体験記

最初に少しだけ失敗談についてお話をさせてください。

 

過去のこと、多くの大人は

「昔は良かった」

「それに比べて最近の若者は・・・(これ平安時代から言われているらしいっすよ)」

と美化します。そうすることで気持ちよくなれるからです。これは僕にも皆さんにも当てはまります。

 

実は成功体験も同じで、成功体験ってのは自分が印象に残っている(≒思い出していて気持ちよくなれる)体験をピックアップするので、セットでうまくいった他の要素はよく無視されます。

超極端な例ですが「図書館で勉強~時間やって受かりました、自分一人でも受かります。」と言っている人は、何時間も勉強しても体調を崩さない健康的な食事、運動、環境、図書館まで送迎してくれる両親の支えがあったからでしょう。

 

ですが失敗談というのはその通りにやると失敗します。不思議です。絶対需要がありそうなんですけどなぜかあまりない。なぜかというと書き手としては、プライドも傷つく方が多いからではないでしょうか。

 

ってことで僕は失敗談を中心に書きます。僕の周りは失敗に漬け込む人はいないし、僕は「編入をのミスマッチをなくす」をテーマに記事を書いています。編入を通して幸せになる人が増えるのであれば失敗談の1つや2つ痛くもなんともない。

 

話が長くなりましたが、今回は編入試験を受けようとした時期に何を考えたのか、どんな失敗をしたのかについて書きます。

 

 

目次

 

 

中二の高校時代

高1の時に筑波大学に初めて行きました。その時に中2心が抜けきっていない僕は

 

「この時期に受ける大学決まってたら絶対かっこいい!」

 

と今でもよくわからない理由で志望校を筑波大にしました。最初高校のOBがいたので工シスを第一志望にしていましたが、説明会の定員が割れていた情報科学類に行ったらここでもいいじゃん!と目移りして志望学類を変更しながらも3年間勉強し続けました。

 

時は流れセンター試験。結果はぼろぼろでした。7科目で560ぐらい、分かる人なら分かりますがスピンスピンしました。受け終わったその日にベットに倒れこんで泣きわめいていました。母親が心配しに来ようがお構いなく。

翌日現実逃避も兼ねて、進路指導室に置いてあった本を読み漁ってました。そこに某予備校の編入の本が置いてありました。大学受験のリベンジとして編入試験を受けることができるとのこと。それなら受験が駄目だったら挑戦してみようと当時考えました。

そう思いながら二次試験、予定通り(?)前期後期ともに散るのでした。生涯現役でいたいというプライドがあったので渋々滑り止めの私立の大学に進むことになりました。

 

 

高校の時にこうしておけばよかった

もし高校生の人にここ失敗したぞという話をするなら

 

・没頭できるものを持てばよかった

筑波大に来て思ったのですが頭のいい人は何かしら得意なものを持ってます。得意なもの=時間をたくさん注ぎ込めるもの=得意なものです。

没頭できるから満足して「じゃあ勉強するか」となるのだと思います。

 

・住んでいる場所を言い訳にして引きこもらない

友人に「遊びに行こう!」と誘われても「家遠いからごめん」と断ってました。あの時遊んでいたら別の没頭できるものを見つけていたかもしれないのに・・・。

と高校の時から引きこもり気味になっていなかったらもっと気持ちの切り替え、集中の切り替えがうまくいってかもしれません。

 

 

滑り止めの大学編

そんな失敗をしながらも滑り止めの大学に入りました(お父さんお母さん、学費を払ってくれてありがとう)。最初は「編入試験受けるし適当に大学生活すごすか~」と思っていたのですが、いざ入ってみると大学生活が楽しいこと楽しいこと。調子に乗ってサークル2つ、部活2つ、委員会1つ入りました。

 

勉強に明け暮れる予定だった夏休みも、馬に乗ったり、楽器たたいたりと部活やサークルに打ち込んで、編入の勉強はしませんでした。10月頃にはもう今の大学楽しいし編入はいいや。と思い、バイトを始める有様です。

 

ところが僕の心に変化が訪れます。時は過ぎ12月。解析の授業のときです。それまでにいろいろ小さな不満が募っていました。(大学が家から遠い、文化祭のライブが乗り気じゃなかった。とかとか。)

 

いつものことだったのですがその日だけ特に周りがうるさくて気になっていました。そのときふと

(ああああ!もうこの大学嫌い!・・・あれ?俺の居場所ってここなの?)

と考え始めて次第に

(これって編入しろってこと?やっぱ俺は受けるべきなのかな?)

 

よし、リベンジしよう。

と受験を決意し、12月中に編入試験の参考書を買い揃え、1つ休部で済ませてくれたところもありましたが、所属していた団体はすべて辞めました。

 

 

編入前の大学でこうすればよかった

前の大学には特に悔いはないし、2年ぶりに顔を出したときも仲良くしてくれました。幸福度を左右する人間関係、仲良くして損はないと思います。編入はたまたまうまくいきましたが、嫌いという感情がきっかけで受けたので、もしも落ちたとしていたら人生に絶望していたかもしれません。

 

・大学を嫌いと0と1で決めつけない

嫌いなのはあるけどここは好き。みたいにいいところもあることを忘れないでください。ここ嫌いだから全部嫌いというのはだめです。良いところに目が向かなくなります。

悪いと良くなっているは両立します。例えば入院患者の方とかそうですよね。好き嫌いもおなじです。良い部分をどうしたら生かすことができるか考えておけばよかった。

僕だったら都内に大学があったのでラーメンのブログ書くとか(人口も多いし需要もあるはず)、インターンに行くきっかけを作るとか、良い成績を取って学費免除を狙うとかでしょうか。

 

・学問に少し手を出してみる

せっかく大学に入った訳ですし、研究、学問すればよかった。僕だったら音の研究がしたかったのですが、入った学科には音の研究室はありませんでした。良く調べてみると他の学科にはありました。勇気を出して音の研究をさせてもらえればよかったと考えてます。そうすれば音の研究がスムーズにできていたかもしれません。

 

  

うまくいかない勉強計画

12月も終盤に差し掛かり、冬休みに突入。ちょうどクリスマスの日に参考書を買いました。参考書はこちらを参考に

 

www.tsuyukey.work

 

問題集は春休み入る手前までに一周しようと勉強をしました。しかし実際にはそううまくいかず、どの参考書も半分も終わりませんでした。

うまくいかなかった理由として

・解けない問題で悩みすぎていた。

・計画をみっちり立てすぎたせいでうまくいかなかったことを想定していなかった

この2つが挙げられます。

 

 

決めるぞ志望校

その頃編入試験は国立の一般入試と違って併願ができるので何校か併願校を考えることに。僕は音の研究がしたかったので、音の研究ができる大学を探しました。その時受験校の候補が

 

筑波大学

九州大学高専生の受け入れメインです、ご注意を)

信州大学

広島市立大学

宇都宮大学

福井大学

 

の6つ。ですが受験日の兼ね合いで筑波大だけにしました。ともあれ、どんな研究がされているか知ることができたので調べてよかったなと思います。

 

 

僕の人生って何のため?

時が流れ2月の終わり。筑波大の志望理由書にこの頃から取り掛かりました。

いざ書こうと思ってもなかなかかけず、一人で悩んでいました。ところがある日、高校の先生に会う機会がありました。ついでに相談してみるかと連絡を取ってみると、あっけなく

「別にええよ~つーか編入受けるんか」

と二言返事で相談に乗ってもらうことに。

ところが相談に乗ってもらったものの志望理由書を書いていくうちに、筑波で音の研究がしたいんじゃなくて、ただ筑波大生になりたいだけなんじゃないの?と考え始めてしまいました。自分は将来何がしたいのかよくわかんなくなり、編入試験の勉強をする価値を見出せなくなりました。

 

結局3月はほとんど勉強してません。一日ぼーっとしてバイトある日はバイト行ってあとはぼーっとするだけ。たぶん勉強時間10時間いってないんじゃないでしょうか。どの参考書もまだ一周してません。 

さらに追い打ちをかけるように相談に乗って貰った先生が4月で別の高校に移ってしまうことに・・・。

 

  

転機訪れる 

勉強もせず4月に突入。が、相変わらず毎日ぼーっとしている日々。

どうにかしなきゃと思いつつも、何で勉強するんだろうという考えが邪魔をして、何もできませんでした。

人生ここまでか・・・と思っていた時に運命の出会いがあります。

 

 大学の授業で心理学に関係する授業がありました。最初に教授がこんなことを言います。

「私、スクールカウンセラーもやっているので悩んでいることがあったらいつでも来てください」

実は小中学校でスクールカウンセラーにお世話になりました。当時何度も絶望の淵から救ってくれました。この大学にもスクールカウンセラーがいるなら助けを求めるしかない。

  

話していくうちに頭の中が整えられて自分の目標は当時「音の可能性を広げ続ける」にたどり着きました。そのときにカウンセラーの人に

「君は編入試験を受けるべきだと思うよ」

と背中を押してくれたのもあり、俺は編入試験を受けるべきだと覚悟を決められました。4月でしたが親にお金を借りて予備校に通いました。

スクールカウンセラーの方には5月ぐらいまでなぜか志望理由書も見てもらいました。本当にお世話になりました。先生元気にしているかな・・・。

 

 

 ラストスパート

この頃から大学の授業中は出席するだけして、レポートも最低限出し、それ以外はひたすら編入の勉強。分からない問題が出てきたら教授を捕まえて質問してました。数学の教授2人と物理の教授1人捕まえました。研究で忙しい中、お相手していただきありがとうございました。

TOEICも555点までしか伸びず、最初は不安でしょうがなかったのですが、7月頃から問題が解けるようになり、参考書も2周したので

「これってわんちゃん筑波あるんじゃない」

と自分に自信が着いてきました。

 

 

さあ試験!

そしていよいよ試験前日。大学の午後の授業はサボって筑波に向かいました。

 

 

前日に中央線が止まって不安になったのですがなんとかつくばにたどり着きました。

 

 

知らない3人と寝るかと思ったのですがそんなことはありませんでした。

前日に試験会場までの道順を調べました。夜は少しだけ物理の勉強をして寝ました。

 

 

本番当日。前日に下見に行ったときに9時から入場です。と前日確認したのに8時半について暇にしてました。 スーツで動きにくかったことだけ覚えてます。

 

開場し、試験会場で試験を受けます。

試験開始の合図と同時にスタート。開始直後は頭の中?で埋まっていたのですが

・・・あれ?これ簡単じゃね? 

と山が当たったのか数学も物理もすらすら解け、見直しを済ませて時計を見たら30分余ってしまいました。無事面接も試験も終わり帰りは秋葉原で某イヤホンショップに行って帰りました。めっちゃ混んでいました。

 

 

 

 

時が流れ合格発表日。前日から大学の期末テストがあったのですが

 

 

嘘つけお前、この間の追いコンのMC、ガッチガチに緊張してたぞ

 

 

 

そして10時ぐらいについったーで合格者番号が流れてきたんですね。12時ネット発表だって言われていたのでびっくりしました。

 

 

 

 

となり無事合格しました。うれしかったというより驚きの方が大きかったのは覚えてます。

まず母親に連絡をして、次に父親(仕事中なので出なかった)、筑波に行った高校の友達、の順に連絡しました。その日の4限が質問した先生のテストだったのでお礼を言いに行って帰りました。他の教授には大学を辞めるときにお礼を言いました。

 

一番喜んでくれたのは家族ではなくスクールカウンセラーの先生でした。報告しに行ったら目の前で泣いていました。

 

僕の受験体験記は以上になります。

 

 

反省

これだけ書いて何が言いたいかというと、マイナスの感情をきっかけに勉強を始めると途中でつまずくということです。

僕は今まで頭のいい学校に入るのが目的で勉強してきました。だから大学受験は失敗したんだなと思います。

 

 

失敗体験をメインに書きましたが、実は1つだけ成功する確率上がるものがあります。

 

・困ったらスクールカウンセラーに行く

 

です。恥ずかしいと思うのは最初だけです。個人情報は絶対守るし、親身に話を聞いてくださります。相手は話を聞くプロです。タダで話を聞いてくれるのは学生身分の特権です。編入してからもお世話になりました。困ったら使ってください、編入した先輩との約束です!

 

 

おまけ