鰤切手

旧初めての理系編入。編入から無職まであなたのお供をします。

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4年ほど編入の相談に乗ってみて

いきなりですがですが高校生の入学した頃を思い出してください。

 

・・・

 

高校生1年生の4月、もしかしたら希望の高校に入れなかったかもしれない。「大丈夫!まだ身長のびるはずだから!」と少し大きめの制服を着ているかもしれません。

 

入ってからしばらくして、先生方はこんなことを言います。

 

「頭のいいところに入っておけば大丈夫だから!」

「研究設備しっかりしているし、とりあえず国公立大に行こう!」

 

その話を聞いて大学受験に向けてコツコツ勉強をし、高校3年生の時から一心不乱に勉強をしました。・・・特に将来の夢とか、やりたいこともなく。

 

 

大学受験が終わった4月上旬、あなたは大学に入学しました。

 

入学式で

「本当は早慶GMARCHに行きたかった。」

「金が無いから国立、旧帝行きたかった。」

と思う。

新歓時期だし、みんな楽しそうにしているからこの悩みは誰にも言えない。

 

久しぶりに会った友人に「そういえば大学どこ?」と聞かれると、失敗した苦い記憶が心臓を引き締めつつ「○○大。」と言う。

 

そんな変えることの出来ない出来ない過去と一緒にいるうちに「この大学嫌い!」とか「もう通いたくない!」とか思う人がいる。その人たちは駆け込み先の一つとして「編入試験」を選びます。きっと編入試験に受かった後には今とは違う華やかな生活が待っていると信じて。

 

 

 ・・・

 

 

そんな人たちを支援し続けて4年が経ちました。相談してくる人のDMから一刻もこの状況から抜け出したいのがひしひしと伝わります。分かるぞその気持ち・・・と言いたいだけど、苦労のベクトルってみんな違います。「え?そんなことで苦しんでいるの?」と思うことで苦しんでいることもある。僕だったらラーメンのすする音とか嫌でラーメン屋に行くと耳栓したくなります。人間分かりあえないのです。

 

前置きが長くなったのですが4年経った編入支援に対する独り言を垂れ流しをさせてください。

 

 

偏差値の教育どうにかならないかなぁ

競うの疲れませんか?、今少子高齢化ですし人も少なくなっています。

「あいつはこれが得意、だけど俺はこれが得意!」それでいいじゃないですか。1つでも何個でもいいから得意な武器持ちたくないですか?

カレーとラーメンどっちがおいしい?AさんとBさんどっちがいい?比べられないです。

 

これらの原因って偏差値がある大学受験を経たせいだと勝手に思ってます。大学っていいところ、悪いところがあります、その人にマッチすればいい。

 

落ちたって別でがんばろうとなればいい。人生では不測の事態、すなわち予期せぬ出来事は8割あるそうです。計画的偶発性理論といいます。

 

1通のDMごときで人の考えは変えられない

かつての僕もそうでした。

高校の先生に「今いる大学でできることないの?」と言われても「ないので編入試験受けるって何度も言っているのですが・・・。」と海底にいるウニの如く、人の意見を拒んでいた時期もあります。今なら先生の気持ちが理解できる・・・気がします。

たまたま受かったから良かったけど、落ちていたら「もう終わりだ人生」となって何もできなくなっていたかもしれません。

 

僕なりの答えですが、人の考え方を変えられるのは「挫折」と「長い時間」だけだと思います。

偏差値に洗脳された考え方を変えるのに、僕ができるのは情報発信し続けること。頭の隅っこに僕のDM,記事がそっと残っていればいい。きっとどこかで「あの記事に書いていたな」とか「DMで飛んできてた」とか思ってくれればいい。

 

今どうですか?

未来と過去は考えられるけど、今は考えることが出来ません。感じ取れるだけです。

「大学受験で失敗したので編入試験受けたいです。」

今どうですか?楽しいと思えることを見逃していませんか?この時期から編入試験を考えていると楽しい大学生活もつまらなくなるので、今楽しんでください。

 

 

正確に言うと4年と9ヶ月。最初はTwitterで質問を受け付けていました。今も続けています。DMが届いていると「こんな自分でも必要とされるんだ!」と嬉しい時期もありました。そのうち、悩んでいることってみんな一緒だなと思ってブログを開設し、記事を書き始めました。もともと国語の成績が良くなかったし、文才なんてない。と決めつけていたけど、気づいたら110記事を超えました。人生何があるか本当分からない。何が起こるか分からない人生だからこそ、今を一生懸命生きてください。

 

とふと思いついたので書きました。現場からは以上です。

サークルでアスペと呼ばれて流石に対策しようと思って読んだ本

僕「夕飯行きましょうよ!先輩どこ行きたいですか?」

先輩「どこでもいいよ!任せる!」

僕「うーん、不動産屋さんだと時間的に閉まっちゃってますよね・・・。(意訳)」

先輩「頭沸いているんじゃないのか」

 

実際に僕がした会話です。少しずれたこと言えばウケるし、自分に注目が集まるので気が楽でした。

ですが、まともな会話ができないと話に入れないし、話は続かないです。そして2年前頂いたサークルの色紙にはアスペと書かれ、親から「あんた発達障害なの?」と心配される始末・・・。念のため補足しますが書いてくださったことについては全く怒ってないです。笑いながら読み返してます。生きていくうえで苦労すると思って、「会話の勉強しよう!」と手を打った次第です。

会話の知識を取り入れていくうえでこれは役に立ったと思う本を紹介をします。

本以外にも話のうまい後輩からどうやったらうまくなるの~?とか聞きながらやっていくうちに、少しずつ改善してきた気がします。

 

 余談ですが僕がサークルで最後に出たバンド名はFear, and Loathing in As Pegasです。

 

 

 

マンガでわかる! 誰とでも15分以上 会話がとぎれない!話し方 【会話がとぎれない!話し方シリーズ】

 

 

読んでよかったと思うこと

この本を読むまで、会話=文字情報のやり取り

だと思っていました。だったのですが

 

会話=気持ちのキャッチボール

 

だったらしくて「え!そうだったの・・・。」と家に空き巣に入られたような衝撃を受けました。これまで一方的に自分の自慢話ばかりしてましたし、話続かないのも納得。

 話がズレますが後輩にも「話す速度と間は意識した方がいいですよ~」と言われ、キャッチボールだからレーザービームを放ってはいけないのかと腑に落ちました。

それから今でも役に立っているのが

 

相手の気持ちに共感する

 

つまり相手が苦労話をしていたら解決策を言うのではなく、苦労したことに共感するんだ~!ということです、目から鱗

共感を意識するだけでも相手の会話の内容が頭に入ってくるようになるし、相手がどんどん話してくれるようになるのでこれまでより会話に苦労しなくなりました。

 

これ以外にも会話のコツが書いてあり、漫画と文章どちらもあって読みやすいので会話で苦労している方は是非読んでください。

ニューヨークの人気セラピストに学ぶ心の傷の癒し方

突然ですが、転んで擦り傷が出来たらどうしますか?

もちろん、傷を消毒して絆創膏を貼りますよね。

では心が傷ついた時は?

 

入学式、大学受験に失敗して「俺はこんなはずではなかったのに・・・。」

しばらく経ってから「あぁ、何もかも失敗してばかり。周囲にも馴染めないし、俺は何をしてもダメなんだ・・・。」「自分なんか大っ嫌い・・・。」

 

 

これは一例ですがショックを受け続けると、知らない間に自分で自分を傷つけるようになります。そしてその傷もどうしていいか分からないから放置してしまう。そして傷が自分の行動に影響を及ぼしてきます。

 

僕は最初に配属された研究室、就職活動でこのような経験をしました。研究室では先輩が助けてくれたので被害は最小限で抑えられましたが、就活は1年以上戦っていたので本当に地獄でした。

そんな地獄にいた時に助けが欲しくてひたすら本を読んでました。その時に気持ちを和らげてくれたのがこの本です。

 

 

 

 

 

 

 

大学受験に失敗し、不本意ながら大学に進学する方へ

ご入学おめでとうございます!

 

 

・・・と言いたいところですが、このブログを読んでいるってことは「これから進学する大学に行きたくない・・・」「編入して人生巻き返してやりたいんだ!」とか思っているのでしょうか。毎年この時期になるとDMでそんな悩みをたくさんもらいます。

そう考えるのもしょうがないですが、僕はそんな考え方はしなくてもいいのかなと思います。毎年アドバイスを書いているのですが今年も書こうと思います。

 

 

目次

 

 

悩んでいることは別の人も悩んでいる

毎年3月から4月にかけてTwitterアカウントのフォローワーが増えます。つまり今悩んでいることは多くの人も悩むし、過去の人が悩んでいたことです。

だから希望の大学に行けなかったことで苦しまなくて大丈夫です、多くの人が悩んだことです。悩むことに労力を割かないで、今いる大学でできることは何か考えて取り組みましょう。

 

 

人間関係は大切に

「こんな奴と一緒にされたくないから孤独でいい!」となるのも構いませんが人生の幸福度は人間関係に依存しているという研究成果があります。

だから孤独にならずにサークルに参加するなどしてなるべく交友関係は作りましょう。この人間関係はダメだと思ったら、別のサークルに参加するとかして別の人間関係を構築すればいいです。

 

 

自分は自分、他人は他人

突然ですが質問です。

カレーライスとラーメン、どっちがおいしいですか?

 

答えられますか?比較できますか?多くの方は答えられたとしても時間がかかったはず。つまり、食べ物それぞれに良さがあります。

人も同じです、AさんとBさんどっちがいいですか、と言われてもAさん、Bさんの良さがあります。その人の良さは比較することはできません。

だから「偏差値」という一つの尺度に自分を括り付けて自分の価値を落とさないでください。

それでも「自分はどうせ大学受験に落ちたから・・・」とかネガティブな考えが頭に浮かぶと思います。断ち切るには目の前のことに夢中になるしか方法がありません。有名な例ですが、「キリンを思い浮かべないでください」というと皆さんなぜか思い浮かべると思います。ですが、「ピンクのパンダを思い浮かべてください」というとキリンは出てこないですよね。つまり別のことを考えればいいのです。考える暇があったら行動しましょう。考えは完全には消えませんが、少しずつ薄くなっていくと思います。

不安は目の前のことに夢中になることでしか打ち消すことが出来ないと有名な先生も言ってました。

 

 

労力は動くことに割きましょう

僕は昔から生きるのに向いてないとか、働くのも向いてない、研究するのも向いてないとか、就職活動も向いてないとか、ありとあらゆる否定を受けてきました。けれどそんな自分が生きていくためには、誰も歩まなかった別の道を歩むしかありません。

そのためにもいろいろなことに手を出していく必要があります。突然ですがこの間会社を労基に通報してきました。それを記事にまとめたところ、昨日だけで70000アクセスを記録し、知り合いから「お前のブログ、もしかしたら面白いかもしれない」と言われました。本当にうれしかった。

大学院に行って気付いたことですが、考える暇があったら動くしかないです。もちろん動いて後悔することもあります(現に労基に通報したことは後悔もある)。けれども僕たちは学習して行動していくしか方法がありません。成功からは報酬を得られますが失敗からしか学習することが出来ません。

僕は動き続けます、社会不適合だなんだと罵られてきた自分が生きていけるということを証明して、同じような境遇の人が活躍できる環境を作ります。

 

一緒に動きましょう、僕も一緒に動きます。

2回労基に行った話と反省会

前に書いた記事の書き直し。

新卒のとき、2度労基に行った。正直労基に行くより、もっといいやり方があったかもしれないと今振り返ると思います。もし過去に戻ってやり直せるなら、残業代不払いは2年に渡って請求できるからまずは文句は言わず2年勤めて、その間に社内業務の改善に努めていたと考えます。

当時はいいキャリアが築けるかもと期待して入ったのに、一気に絶望の縁に立たされた気分でした。その絶望から立ち直ろうと記事を書いて他の方から助けを求めました。

 

ある日、経営者の方に合う機会があってこんな話を聞きました。

「最低でも給料の3倍ぐらいは会社に貢献してほしい」

会社を維持するにはいろいろお金もかかる。それらを払うには給料の三倍は払ってほしい。成果を出していない新人に教育をすることって経営者からすると、とてつもない賭けです。

つまり研修している間に労基に行くなんて、向こうからしたらモラルの欠如という見方もできます。もちろん労働者である以上、法に守られるべきだし、新人なんだからお前に法は適用されないってのは違う。ただ、当時の労働者の僕は他に良いやり方があったと。

 

当時に比べたら視野を広く持てるようになった気がするので反省も交えながら書き直そうと思った次第です。それではどうぞ。

ほぼ当時の文章を残しています。

 

目次

 

 

残業代が出ないって本当ですか?

2019年4月1日、僕はある会社に入社しました。新入社員は僕一人だけ。

「初めまして。これから貢献できるよう頑張りますのでよろしくお願いします。」

と何も面白みのない挨拶で朝礼は終わりました。そのあと部署ごとに挨拶をし、配属された部署で諸々設定を行いました。

 

落ち着いたころに

「△くんが○○ってところ行くからついていきなよ!」

と言われ、ついていくことに。(△くん:先輩)

 

その車内でのにて

「どうですかこの部署、いい感じですか?」

「いや、外れだよ」

「えぇ・・・ここにいる方雰囲気いいですし、話しやすいのにダメなんですか・・・?」

「忙しい時、月60時間残業してたし、うち営業手当出たら残業代でなくなるからね・・・。」

 

・・・ゑ・・・?

 

・・・終わった、俺の社会人生活が終わった・・・はい人生おわおわり・・・。

 

 

 

  終
制作・著作
━━━━━
  ⓃⒽⓀ

 

 

となるのがこれまでの自分。家に帰って「あぁ、これからの人生こき使われるのか・・・」と考えていた時に

 

・・・これブログの記事にするか。

 

という考えが頭に思い浮かびます。まず残業代がでないってアウトだし、仮に見込みだとしても超過分は支払わなきゃいけないってTwitterで見たぞ!知ってる!残業代払うようになったら、会社としても残業させたくないから残業も減るでしょ!僕天才!

その日からどうやって訴えればよいか調査に燃えていました。

 

調べるうちに就業規則で「営業手当が残業何時間見込み」なのか書いていないので、ここの規則のせいで残業代未払いでも社内では許されているんじゃね?という結論にたどり着きました。

 

 

本当でした~!

翌日、ある方に呼ばれ諸々書類書いていました。その書類にありました。営業手当の4文字。

 

つ「この営業手当って何時間残業みこみですか?」

あ「・・・いろいろ込々の手当だよ、あと君今タイムカード切ってるけど入社3か月後は退勤は切らなくていいからね。」

 

はいアウト~!

 

残業時間も把握させないのか、分かったぞ。(他の人のタイムカードを確認しましたが退勤時刻は押されていなかった、なんでみんなクレームつけないんだ・・・。)

罪を許しなさいと言っている神もこれには迷わずドロップキック。どうやら残業代を払わないのは本当らしい。

 念のため就業規則を確認しましたが、何時間込みとは書いてなく、金額だけしか書いてませんでした。来た!飛ぶ鳥を落とす勢いとはまさにこのことか!

 

 

労働条件相談ほっとラインにかけてみる

勢いで労基に通報してやる!

と、労基に行く前に念のため相談相手が欲しいですよね。労働条件相談ほっとラインというものがあります。こちらで労働条件の相談(通報まではしてくれない)に乗ってくれるので最初にかけた方がいいと思い、かけました。

0120−811−610 で平日は17時~22時、休日は10時〜17時にかけられるそうです。

 

かけるとやる気のなさそうな方が応対してくれました。要約すると

 

1.その手当はいろいろな点でアウト

2.まだあなたに営業手当が出ていないから通報はかなり厳しい

3.他人のデータを使うんだったらその人がいけ

4.営業手当に見込みがついてないか徹底的に調べてね

 

・・・その通りですよね。3番目に至っては正論すぎる。ともかく問題点としては

 

・まだ自分に営業手当が出ていない、つまりまだ被害者ではないので労基が対応できるか危うい

・被害が出ているのは他の人、その人のデータを使うのであればその人の名前が会社にばれる可能性もある

 

ということ。さっきの自信と違って入ってまだ何日もたっていない僕のために一緒に身を投げる人なんているのかなぁ、と不安と孤独に襲われてました。

 

 

データ集め

ってことでデータの協力してくれそうな人から声をかけたのですが、入社して一週間も経ってない人に協力したいとは思わないですよね。案の定協力してくれる人は誰一人いませんでした。協力者0人。

お金手に入るかもしれないし、みんな協力するでしょ~という微かな望みは儚く消えました。

 

 

労働基準監督署

ってことで行ってきました。労基。

入口の近くの人に「・・・すみません、会社の残業未払いで通報しに来ました」と言ってバトルスタート。

 

・・・だったのですが結論から言うと相手にすらしてくれませんでした。何が駄目だったかというと

 

1.まずお前は被害を受けていない、被害、つまり未払いが発生してから来て、どうぞ。

2.営業手当を定額残業代として主張して会社側が勝った例がある、今回もその例に該当する可能性がある

3.分単位で残業代を請求するのは厳しい

 

ですが

・タイムカードを打刻しないのはアウト

らしいです、ただ明確な被害が確認できていないので今回は動けないということです。

 

 

動かぬ労基

いろいろな方々から意見を頂き、メールで通報したのですが動くことはありませんでした。

通報フォームはこちら

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/mail_madoguchi.html

 

 

この方がおっしゃるとおり、当時被害者は本人ではなかったからでしょうか。

メールでの通告は失敗です。

 

 

残業0.5時間...?

ある日1時間ほど残業をしました。「これで払われなかったら労基チャレンジしよ」と野望を胸に退社をしました。この残業が吉と出ます。

 

時は過ぎて給料日を迎えました。残業代はどうなっているかな~と給与明細をみると

 

残業時間 

 0.5

 

0.5?

 

0.5!!

 

労基に行く証拠、ゲットしました。まさにマリオカートで2位でキノコが出た時の気持ちでした。行くしかない。0.5時間で凸るのもケチだなぁと思いつつ、証拠は証拠です。

(一度ここで「なんで残業時間が減っているんですか」って会社に相談するべきだったかもしれないです。頭にイカ墨でもかけて一旦冷静になるべきでした。)

 

 

2回目の通報、話は聞いてくれたものの・・・

後日道が混んでいて時間オーバーしたものの、話を聞いてくれました。労基の方ありがとうございました。労基の皆様に幸せが訪れること、残業代が出ていることを祈っております。

 

ってことであらかじめ何を話すか記したメモを用意し、話をしました。

話は

 

・残業時間が少なく出る

・試用期間が終わると、タイムカードの退社時間を押さなくなり、残業代が出なくなる、また人事部が適切な労働時間の管理をしていない。

 

の2点です。以下内容です。

 

「...どうされました?」

「すみません、残業代の未払いで通報しに来ました。」

「うち定時5時なのでもう閉まるんですけd」(一応17時15分までやってる)

「そこをなんとか、 お願いします。」

「・・・上の方と相談してみます。」

「あ、ありがとうございます。」

 

その間に渡す資料を準備しました。

数分後、上司っぽい人が来てくれました。

 

「以前来たことはありますか?」

「あります。」

「担当者の方の名前は?」

「うーん、分からないです。」

「ちなみに日付は?」

「○月△日です。」

「かしこまりました。」

 

と労基の方が離席し、資料を取ってきました。

 

「今回はどういったご用件で」

「前回と同じなのですが、今回は証拠を取れたので正式に通報に来ました。」

 

(以下残業代が少なく出ている話と他の人はタイムカードを切らせないで残業代を把握させないでいることを話す。)

 

労基「かしこまりました、それでは今からできる手段を2つお話します。」

長くなっちゃうので要点だけ

 

1つ目:名前を出して申し立てを行う。これによって一週間以内に会社に立ち入り調査が出来る。

2つ目:匿名で情報提供という形に収める。しかし、監督署任せになるので、いつ調査があるのか、調査の結果どうなったのかが分からない。

 

名前を出さなくていい例を知っていたので、なぜ名前を出すのかと聞くと、そっちの方が会社側が逃げられない、拘束力が高いからとのことです。

「ダラダラ喋っていて仕事はしていない」と言い逃れをする会社もあるそうです。

 

「では1つ目でお願いします。」

「かしこまりました。あ、その前に、一度会社の方に残業代の請求をしてください。そして相談したという証拠を残してください。そうすることで、調査がスムーズになります。会社側も「そんな話聞いていない」と言い訳をして応じない可能性があるので。」

「分かりました、では本日は通報は出来ないですか?」

「はい、そうなっちゃいますね。」

「では会社の方に一度相談し、応じないということであればまたお伺いします。」

 

匿名で情報提供をお願いし、話は終わりました。相談と情報提供は並列してできるそうです。

 

 

今後

通報は出来なかったものの、自分にまだ被害のない残業代未払いの話も含め、前回よりも話を聞いてくれました。

 

最後に、この会社には命は救われた訳ですし、勤めていたいです。名前を出して通報はしたくないですし、入社一か月目で会社に文句を言うなんて、とても生意気なことも十分承知しています。結果として「じゃあ定時20時にするから」と悪くなる可能性だって考えられます。

それでも、この通報で職場の環境が少しでもよくなると信じています。賭けです。この賭けが良い方向に出ることを祈ってます。

 

それではよい令和を!

 

 

反省会

当時書いた文章はここまで。結局この会社はクビになります。悲しいなぁ。

さて、反省をしましょう。

 

残業代が出なく、このことに対していま自分ができること...そうだ!労基相談!という考えに当時の自分は至ったわけですが、今僕が当時の自分にアドバイスするなら


・孤軍奮闘は良くない、もっと多くの人に相談するべき。

・残業代を請求するのは正しいんだけど、もう少し待っても良かったんじゃない?

 

の2つ、リスク(名前が相手方にバレて今後昇進できなくなるor仕事が振られなくなる)に対してリターン(残業代)のバランスが取れていない。

そして味方につけられる人がいたなら味方につける。これではただの外部から来た人間が文句を言っているととらえられてもしょうがない。

少し心残りだったのが

 

・その会社で得られることを考えるべきだった

 

何度も書くけど残業代は2年前まで請求できる、もしかしたら社内環境を改善したってことで他の会社に評価されて転職がスムーズに行くかもしれない。

そして将来どうのこうの考えているより、今の業務に集中している社員のほうがいいキャリアを歩めるなんて研究もある。

2年間ほど勤めて、もうだめだと思ったら相談に行くべきだったかもしれません。

 

人生、改善の余地がありすぎる。

当時の振り返りをしつつ、反省をしてみました。誰かの参考になれば幸いでございます。

研究室の皆様、お世話になりました。 イケイケ研究室に配属された感想

このブログを知っている同期から編入関係ないじゃんって言われましたけど、僕の気持ちを垂れ流させてください。

 

の前にこの研究室に配属された経緯の話を。何度も書いているけど最初に配属された研究室を変える機会があって、移るときに紹介されて入ったのが今の研究室です。余談ですが先ほどその研究室の送迎会に出席させていただきました。本当良くしてもらいました・・・。

 

「僕音の研究をしたいんですよね」

「そうしたらいい研究室紹介してあげる」

 

と、当時の指導教員は今の研究室を紹介してくれました。紹介してくれた研究室は当時一年目の間もない研究室で、指導教員もすごい見た目しているし、大丈夫なのかと不安しかなかったですが、大学院試も迫っているのでとりあえず連絡をしました。

会ってみると思ったより気さくな人で、研究もやりたいことそのまんま。このまま研究室を移って大学院もそのまま進学するか、大学院でもう一回研究室を変えようかめっちゃ悩みました。

ここまで来たらリスクを取ってやろうじゃないか、派手にやってやろうと思ってその研究室を受け、大学院で研究室を移りました。

 

この判断は間違っていなかったと思います。

 

 

目次

 

 


若い指導教員のもとに配属されてよかったこと

今の指導教員は16進数で21歳の方で超若いです。

その指導教員に指導を受けてよかったことを書きます。

 

−とりあえず任せてくれる

「この学会応募してみようよ!」

「この発表やってみようよ!」

とりあえず発表しよう、量を積み重ねれば質が付いてくるというスタンスでした。最初は「嫌だ休ませろ、研究したくない」と言っていたのですが、今振り返ると「~の研究していました」って堂々と言えるしやってよかったです。

 

−いっぱい発表をさせてくれる

若いから研究者としての実績も作らないといけないです。そのため親身になって研究を進めてくれました。研究は大変でしたけど、やってよかったと思います。

トータルでいうといっぱい研究させてくれました。

実績はあまり出せませんでしたが、これだけ取り組んだという誇りが残りました。

 

 

感じた怒り

いいことばかりではなく怒ったこともあります。

 

rikei-hennnyu-1st.hatenablog.com

 

このときは荒れてました、研究室なんか行かねぇ、なんで係をやらなきゃいけねぇんだって思ってました。あと学会で交通費が出なかったことにもイライラしてました。

後から気づいたのですが指導教員もそこはおかしいと思っていたらしく、直せるところは直そうと改良していることを知って考えを改めようと思いました。

 

 

研究室で学んだこと

以下編入に関係しそうなことです。

 

-人と比べない

 マジでメンタル病みます。病まないためにも周りのことが気にならないくらい目の前のことに夢中になりましょう。

 

-考える前にとりあえずやる

こうなるはずだからやりたくないです、じゃなくてやりましょう。ダメだったら途中で逃げればいいです、まだ学生です、責任を放棄しても許してくれる。

 

 

-自分は無力だと思って何もしないのはなし

 「自分これまで失敗してきたからもう挑戦したくないです」

僕が陥った考え方です、論文2回リジェクトもらって「もう自分研究向いていないんでしたくないです。」って進捗報告の時に嘆いたこともありました。指導教員はその言葉を無視してある日「こんなプロジェクトあるけど応募してみない?」と聞いてきてくれました。結果そのプロジェクトに採択されたので挑戦し続けることって大事ですね。

落ち込んだ時は「これは自分への評価ではなく、成果物への評価であること」を思い出してください。

 

 

お礼

という波乱万丈で濃い2年間が過ごせたのは指導教員含め同期、後輩、先輩のおかげがあったと思います。特に僕が研究室に腹が立っているときに研究室になじめるように接してくれたり、メンタル死んでいるときに一緒に遊んだり会話をしたりして支えになってくれた居室の住民、特にSN市さんには今までにないとっておきのお礼をしたいです。僕みたいな人と難なく接することができたことは、今後役に立つと思います。

2年間という短いお時間でしたがありがとうございました!

皆さんお元気で!

実家を恨むのをやめた

突然だけど昔の話をさせてほしい。

 

時はさかのぼること小学生、今の実家に引っ越してきた。母曰く「転勤族で引っ越しに付き合わせるのはかわいそうだから一軒家を立てた」とのこと。父曰く「川の綺麗な場所に住んでみたかった」とのこと。

だがそこで待っていたのは綺麗な川とは真逆の、泥のたまり場のような境遇。

学校にはなじめない、近くにお店も施設もない。家にいてもどこか行けと言われる。逃げ場がどこにもない生き地獄であった。

なんでこんなところに引っ越したのか、前いた学校のほうがましだった。と、どこにもぶつけられない虚無感を背負っていた。

無理やり入れられたスポーツ少年団のサッカーも運動神経がとても悪かったのでしょっちゅうベンチスタートだし、出場しても大した活躍ができないから「頼むから足引っ張るのやめてくれない?」と言われる日々。この状況から抜け出したくて中学受験させてくれと必死に頼んだが、金がないとあっけなく却下された。

 

中学校も繰り上がりだった。教師と生徒が手を組んで、濡れ衣着せられたこともあったし、担任から「お前はこのままでは生きていけない」とも言われた。相変わらずの状況だった。が、消去法で入った吹奏楽部がとても楽しかった。仲間外れにされないし、みんな初心者スタート、役割もみんな違うので、「足を引っ張るな」と言われることもない。当時の自分にとって最高の環境だった。吹奏楽部のおかげで生きることはできた。

 

時は流れ高校生。周囲の環境が変わるので自分の過去の経歴を知らない人しかいない。引っ越してきたということも皆知らない。おかげで友達は難なくできたし、学校に行くのも楽しみになった。充実しすぎて卒業式で泣いた記憶がある。

ただここでも実家の場所のせいで遊ぼうにも電車賃がかかるせいで遊べない、仲のいい友達が「じゃあこの後駅前で外食しようぜ!」と言っているのを横目に、一人寂しく別の方向に帰っていた。高校の時から「もうちょいましなところに家建てればよかったのに!」と親に当たっていた記憶がある。

 

時は進み、大学1年生。筑波大には落ちたので都内の大学に通うことになった。当然高校の時と同じことが起きる。より顕著に。

~放課後の部活が終わったあと~

「つゆき!この後遊ばない?」

「・・・ごめん終電があるから・・・先帰る」

~ある日~

「すみません、全員参加必須の飲み会なんですけど終電で途中で抜けます、すみません」

「そっか、けど人付き合いも大事だからね」

こうやって毎回夜遅くまで遊ぶという大学生イベントを断らないといけない状況が続くのでより親に文句を言うようになった。そして断り続けると人間関係が徐々に薄くなっていく。結果、気づいたら編入試験の勉強を始めていた。最初は「友人といた方が楽しい」と考えていたけど、その気持ちよりも筑波に行きたいという気持ちが上回ってしまった。結果として今は充実しているので良かったことかもしれない。

実家を恨む気持ちは以前にも増していた。

 

内々定を取り消されたので軸を再考しようと就職課に通っていた時のお話。

「君不思議だよね、昔ひどい目にあっているのになんで人を信用するの?」

「・・・分からないです」

面談が終わった後もその言葉が頭から離れなかった。思い当たるのは中学の吹奏楽部の出来事だけど、そんな人の性格ってすぐ変わらないはずだし、ではなぜだろうかと記憶をたどっていたけど、気づいたら仮死状態で生まれた自分の話までさかのぼっていた。

仮死状態で生まれた時に病院の先生から「息子さんですが、障害をもって生まれてくると思います。そのあたりは覚悟してください。」と言われたらしい。奇遇にも翌週実家に帰る機会があったのでふと思い切って聞いてみた。

「障害者かもしれないって言われたのに何で育てたの」

「それは母親としての使命だけど、きちんと目を合わせてくれるし、先生の言葉はきっと嘘だと思った。だからきちんと育てただけ。案の定嘘だった。」

 

そのときにやっと話がつながった。たくさん愛情を注いで育ててくれたからこれまでさんざんひどい目にあっても人を信頼できた。人を信頼しているから素直でいられるし、素直でいるから周りの人たちも素直に接してくれる。なるほどねぇ。床屋の紹介で内定を得た就活の件とか、すべてがつながった。

少しだけうるっと来たのを覚えてる。いい加減過去を恨むのはやめようかなと少し考えた。

 

この間のサークルの追いコンにて

最後のスピーチみたいなところで何を話そうか悩んだ、サークルへの感謝か?好きなバンドができたことへの感謝か?でもみんな飽きるしなぁ、あ、最後だしみんな勇気づけよう。

「バイト16個不採用になろうが、バイト先首になろうが、30社落ちた挙句、内々定取り消されて3月まで就活しようが、どうにかなります!きっと周りの人がどうにかしてくれるお手伝いをしてくれます!」

そのあと卒業生ランキングで「社会に出てはいけないランキング」で一位を取ったあとのコメント

「僕、大学受験も失敗したし、何なら小中学校行ってなかった時期もあったけど、こんな人間でも社会に出れちゃうんで皆さん安心してください」

 

すっきりした。いい表情だったと思う。やっと自分の素をさらけ出せた。もうこれ以上過去の境遇を恨まなくても自分は生きていけるんだとほっとした。

 

最後の学生相談室で

「あ、最後に一つだけ!・・・実家恨むのやめました。二度と振り返りたくない思い出ばっかりでしたけど、小中学校でトラウマを受けるなんて予想はできないし、きちんと母親が愛情を注いでくれたから人を信用する人間になれたと考えるともう恨む必要はなくなったのかな・・・と・・・はは。」

「・・・いい男になったね・・・。」

涙が止まらなくなっていた、いろんな気持ちが自分の中であふれていたのを覚えている、これまでの実家の恨み、両親への感謝、周囲の人のお礼、これまでの自分の愚かさに対する懺悔。就職する前に過去の自分を受け入れられた気がする。本当によかった。僕に携わってくれた皆さんありがとう。

 

 

最後に

きっとこのブログの読者にはもっと僕より深い傷を負っている人もいると思う。それを受け入れろってまず無理だから、ゆっくり時間をかけて受け入れられるようにしていこう。気持ちが楽になるときがくる。ぼくはそれがたまたま就活と追いコンがきっかけだっただけ。

「こんなところから抜け出したいから編入を受けてやる!」もいいかもしれませんが、過去を受け入れるのも一つの手です、また別の正解が見えてくるはず。